『資本論』に株式会社分析がないことの意味 現在、いわゆる「大企業」と呼ばれる組織は、ほぼ全て株式会社です。 従って現代資本主義の主要なアクターは、株式会社=法人です。 しかし、一方マルクスの生前に出版された『資本論』第一巻には、株式会社分析はありません。 英国では1720年の「南海泡事件 South Sea Bubble」移行、一般の株式会社は1856年まで禁止されており、『資本論』執筆時点では、有限株式会社は存在していなかったためです。 マルクス死後エンゲルスによって編集・出版された第ニ巻、第三巻にも銀行資本への着目はありますが、有限株式会社の形をとった巨大法人資本主義の分析はありません。 従って、現代資本主義分析にあたり、単に『資本論』へ立ち戻るだけでは、不十分なのです。 現在、地球生態系への負荷を始めとする、資本主義の危機が語られ、『資本論』に返れ、となる議論には、どこか「現実感」がないのはそのため。 法人資本主義の視点がなければ、多国籍企業論も出てきません。 例えば柄谷行人さんのマルクス論には、こうした視点が全くない。 また『資本論』には国家論もない(これは従来から指摘あり)。 このあたり、人文系のマルクス論、根本的な刷新が求められている所です。
@037b1963 興味深い情報ありがとうございます。そもそも『資本論』未読なのですが、やはり読まなくては...。 これはご興味の範疇かどうかわかりませんが、自然人に保証された権利を企業が請求する根拠となっている「法人人格」、米国においては1886年の最高裁判決の、判決そのものではない=本来は判例としての権威を持たない、序文に含まれた一文だというのが定説です。 https://www.brennancenter.org/our-work/analysis-opinion/history-corporate-personhood (自分はもともと競争法を専門とする弁護士なのですが、この時代に大富豪資産家による企業結合が進み、それに対する反動として現代の競争法の規範であるシャーマン法が制定される運びになった、というふうに歴史的文脈に収めて理解しております。)
訂正) 1720年の「南海泡事件」移行(誤) 以降(正) 世界史で有名な「東インド株式会社」は?という疑問もあるかと思います。 実は、東インド株式会社は実際の所、インド植民地経営のための国営企業であって、国王の許可があってはじめて法的に成立するものです。 「許可制」と呼ばれる、株式会社法の要件を満たせば成立可能な制度は1856年以降はじめて可能になります。 この制度によって、企業資本はさらに巨大になり、また現在に至るように株式市場が金融市場として大きな役割を果すようになります。 このサイクルが一度終了するのが、1929年のウォール・ストリートの「暴落 crash」です。