キャラ文化にはこの他にもリスクがある。筆者が実際に聞いたセリフを使って説明してみたい。
「今回のパーティーにはいろんな友達がいて、どんなキャラで臨めばいいか戸惑っています」
この発言を初めて聞いたときは「これが異文化の衝突か」と、その強烈さに戸惑った。それと同時に、日本のさまざまな問題点が垣間見えた気もした。
ここでいう「いろんな友達」とは、学校、職場、趣味など、自分の生活の異なる場面で付き合う人たちのことである。つまり、このセリフを言った人はそれぞれの場面で違うキャラを提供している。きっと、他者と被ってはいけないという原則の下、そうしているのだろう。
だからこそ、異なるコミュニティの人が集まる場所で、どのときの自分を演じればいいのか迷っている。別のキャラを見られてしまうと、キャラの「魔法」が解けてしまうと思っているのだ。特定のキャラに慣れきっている人たちに対して突然違うキャラを見せれば、変な雰囲気になるだろう。
この悩みは、キャラが人間の一つの側面しか持てないことで生じている…
いじられキャラであれば場を仕切ることができない、非モテキャラであればかっこよさを見せられない、天然キャラであれば賢いところを示せない……。
普段と違うキャラを示すのは、周囲にとってストレスになるだけでなく、示す側も、相手に見せたことがない側面を初めて提示してどう思われるか不安になり、自然体でいられない。
現代の心理学で最も知られているであろう性格モデルは「ビッグファイブ」と呼ばれるもので、性格特性を5つの因子(開放性、誠実性、外向性、協調性、神経症傾向)に分類している。5つだけの項目とはいえ、各項目をサブ要素にも分けられるため、組み合わせの数はかなりある。
このことを考えると、キャラ文化がどれだけ個人の人間性を単純化しているかが理解してもらえるだろう…
キャラ (コミュニケーション) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/キャラ_(コミュニケーション)
キャラとは、キャラクター(英: character、性格・人格)を省略した若者言葉で、コミュニケーションの場における振舞い方に関する類型的な役割を意味する[1]。その具体的な役割に応じて、例えば「まじめキャラ」「バカキャラ」「へたれキャラ」「癒やしキャラ」のようにさまざまなものが存在する[2]。
この用法の「キャラ」という語の発祥は定かではないが、1999年の『現代用語の基礎知識』や新聞記事での使用が確認されているため、その頃から日本の若者の間で浸透した表現だと考えられる(漫画・ゲームなどのキャラクターの省略形としての「キャラ」はそれより以前からの使用が確認されている)[3]…