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 今の四十〜五十代で上の世代や同僚の前では猫かぶって良識派のふりをしてるが根っこのところはネトウヨ心性という男性知識人、結構暗数としてはいるのではないかと感じ、日本の将来を危惧している。彼らはなんというかいつまでも幼い。
悪い意味でジェンダー平等やフラット化の流れが進む中での過渡期の人たち。上世代のような権威は期待できないがゆえに、上から押さえつけられることへの被害者意識を拗らせてる。
また、上世代の身分差別レベルな女性差別はさすがにしないが、親から姉妹とは区別され大事に育てられた世代で、かつ競争的な環境で人格形成してるので、ナチュラルにミソジニーが染み付いている。その一方で親を成熟のモデルにできないので、いつまでも悪童気分が抜けない。子供っぽさが残り、自らも不安に感じているので、誰かが用意してくれたアリーナでマウンティング競争をすることばかり考えてる。その中で娯楽として女性叩きを繰り広げる。 
 このタイプの厄介なのは、暴君が来ると進んで隷属する傾向があること。いやおかしいでしょと指摘する声を聞かず、権威主義的なボスの言うことに従おうとする。ボスが用意してくれたアリーナで勝つことしか考えられず、自分たちで競走の設計を変えて良いものにするという成熟した発想にならない。それよりはボスに合わせて異論を封じて、持続可能でない、まずい設計を残すことに加担する。
一方、これもわかってきたことだが、彼らは周りに逆らってでも貫きたい信念というものは希薄。頑張って実現したい社会像の見通しはあまりない。ただ、信念を持つ人間にはなんとなく脅威を感じるので、きれいごとを言うなと牽制することを繰り返すだけ。なので市民社会が声を上げるとすぐに手を引っ込める。
結局、声を上げる文化を保っていくことが、短期的視野しかない人たちに変な方向へと引き摺られて行かないために大事ということだろう。基本に帰ってきた感じだ。