このタイプの厄介なのは、暴君が来ると進んで隷属する傾向があること。いやおかしいでしょと指摘する声を聞かず、権威主義的なボスの言うことに従おうとする。ボスが用意してくれたアリーナで勝つことしか考えられず、自分たちで競走の設計を変えて良いものにするという成熟した発想にならない。それよりはボスに合わせて異論を封じて、持続可能でない、まずい設計を残すことに加担する。 一方、これもわかってきたことだが、彼らは周りに逆らってでも貫きたい信念というものは希薄。頑張って実現したい社会像の見通しはあまりない。ただ、信念を持つ人間にはなんとなく脅威を感じるので、きれいごとを言うなと牽制することを繰り返すだけ。なので市民社会が声を上げるとすぐに手を引っ込める。 結局、声を上げる文化を保っていくことが、短期的視野しかない人たちに変な方向へと引き摺られて行かないために大事ということだろう。基本に帰ってきた感じだ。