いまの私生活で行き交う50代サラリーマンを見ていると幸せそうには見えない。家族があって幸せな筈なのに、どう考えても幸せそうには見えない。もちろん幸せか否かは本人が決める事だ。私からみたら幸せそうには見えないと言う話です。 さて、彼らと同じ年齢になる頃に私は幸せだろうか。その可能性は限りなく低い様に思える。 では、今の暮らしは間違いと言う事になる。 「退路を模索しろ。」 そう人生がいっている様に思える日だ。
最近、サラリーマンで心からの笑顔を出せている人を私はみただろうか。私を含めて伏目がちな人間ばかりだ。そうならざるを得ない社会なのだろう。 20年以上前はそりゃ良かっただろうよ。高度経済成長期やバブルの余韻が残っていて、「またいつかあの日がやってくるかもしれない。」2000年代にはそう思える世の中だった。しかし、次第に人々はそう思わなくなっていった。 今の社会を指して人は言う。 「仕方ないさ。」 その結論に翻弄され受け入れてしまって幸福は先にあり得るのだろうか。 もちろん、打開策が見つかるまで今の暮らしを私は続ける必要がある。 ただ、問題はいつもこう思っている事だ。 「ここにはいつまでも居たくない。」 「周りの人と同じ人生は送りたくない。」 考えたい。 ここから抜け出す術を探したい。