BT、欧州の文化の中心といわれる都市に生まれ育ち暮らすような人も批評と広告の餌食にはなってると思う(名の通ったものをよく聞く批評定型で語ってしまう)。ただ、例えばイタリアでクイズ番組とか見てると「なぜこう答えるか」が当たり前のように語られる。かなり長々と喋ることもあるし、たぶんこれではないと思ったが何もアイディアが出ないんだ、なんて時もあるが、とにかく「何を思いどう答えるか」が語られる。「答えを知ってるかどうか」ではないのだ。司会者はそれを引き出す役。早押しや回答の多さを競う系のクイズでもあとから振り返り的にこれがあったりする。
@afee3058 これね、分野外の語彙が狭い自分にとってはそうやって喋ってくれてる間にクイズの内容や回答の選択肢を辞書でチェックしながら追い付けるからありがたいんですよ
この辺考えると日本は「知ってるかどうか」至上主義みたいなところがあるのは否めないし、その辺りの感覚が本職すら含めて分野内の奇妙なジャーゴン多用というか「通ならではの証を常に提示して威嚇する」風潮を生むんだなってのは思ってる(まあジャーゴンってそもそも外語だしどこでも散見する傾向ではあるし、なんかちょっと違うんだよなあと感じるのは日本の事情に接する機会が単純に多いせいかもしれない)