政党でもメディアでも私企業でもそうなんだけど、「いやここで誰かが声をあげるべきでしょう」という局面で実際に声が上がることは稀なんだよな。ロシアのテレビ局で起きた珍事は文字通り珍事だったわけで。 つまり組織に自浄力を求めたり声を上げなかった人々を倫理的に責めるという態度ははっきり言って無意味だと思う。人間そういうものだから。 そういう局面では、そこに「最適化」された人間がのし上がるものだし、そうなると内部的にどうこうとか無理。 多分、現実的にやるべきことは、そうした流れに楔を打ち込むなんらかの機制を社会全体に作り出すことだと思う。今のところそれは不買運動だったりするんだけど、これもネガティブな対処療法に過ぎず、何か積極的な価値観をもたらすものではない。 まあ既存のインフラとしては組合かなあ。にしても今はキビシイよね。。。 ヘゲモニーを獲得しうる横断的なシステムが必要なんだが、それはchange.orgの方向とはまた別に求められるべきだろう。 クラストルとか読むと、いわゆる未開社会ではアホが必要以上にのさばって権力を独占しないようなシステムが追求されてたというから、永遠のテーマなんだろな。
そうした機制を社会に継続して再生産してゆくための理想解の一つは「教育」だろうな。でもこれがいま一番キビシイ。諸刃の剣どころか今は正反対に作用している。