1960年代の中ソ決裂以降、世界中の社会主義陣営、また民族解放闘争に両者の対立が持ち込まれます。1970年代の南アフリカの脱植民地化におけるソ連・キューバVS米・英・中という構図は、その最たるものと言えます。 唯一の「例外」はベトナム。ベベトナムはWWII中での日本の占領に対するレジスタンスを経て、1945年ホーチミンが独立宣言を発表。ホーはここに米独立宣言を引用することで、アメリカの中立を期待したが、「反共ヒステリー」状態の米政府には通じなった。 1945-54に渡るインドシナ戦争では、米国は仏を援助し続けたが、1954年にディエンビエンフーの陥落によって仏は降伏。 しかし米国は1955年傀儡政権を立て、南北統一を阻止、60年南ベトナム解放戦線(ベトコン)が成立してベトナム戦争が勃発。米国(日本が基地)、韓国、台湾、オーストラリア、ニュージーランド軍が南部に駐留、その数、百万を超えます。また北ベトナムにWWIIのすべてを上回る戦略爆撃を行います。 「国際化」されたベトナムでは中ソは内側ではいがみ合いながらも、「決裂」には至らなかった。しかし1971年に「秘密裏」にキッシンジャーは米中和解に進み、ベトナムは「溺れる泥棒に浮き輪を投げる」と批判。 ここに両政府の対立が表面化する。