1950年前後に戻ると、「レッド・パージ」の際、共産党員とシンパは社会から放逐されたが、ニューヨーク在住のトロツキスト、メンシェビキ(D.ベルets)の知識人達(ユダヤ系)の「共産主義」=「全体主義」批判は米政府には都合がよかった。 「全体主義」という概念時代が元来、トロツキストによって練り上げられたもの。アレントの夫は元ドイツ共産党員。 アレントの『全体主義の起源』、反ユダヤ主義、帝国主義、ナチズムの叙述、さすがに鋭い部分も多く、ここは歴史家もただ無視するのではなく「批判的対話」を試みるべきだろう。 ただソ連の部分は図式的過ぎて、歴史的検証には耐えない。またアレントはスターリン時代のみを「全体主義」としたが、その後の米国政治学では反米社会主義をすべて「全体主義」とした。 従って冷戦時代、米国はアジェンデ(人民戦線)やスカルノ(非同盟中立)を「全体主義」として打倒を正当化。また主流派政治学も「全体主義」よりも「権威主義的独裁」(ピノチェト、スハルトなど)の方が「まし」とした。 「全体主義」概念の欠陥は日伊のファシズムを免罪する効果をもつこと。実際英語圏では日本は「軍国主義的独裁」とされることが多い。 実際日伊のファシストは冷戦を利用して政治的に生き延び、ついに復活を遂げたとも言える。