「猿の惑星」と赤狩り 「コーネリアス」とは映画「猿の惑星」の登場人物の名前らしい。 コーネリアスの妻、ジーナ博士を演じるキム・ハンターはアクターズ・スタジオ出身、1952年『欲望という名の電車』のステラ役にてアカデミー助演賞を受賞するも、この際すでに始まっていた「赤狩り」の影響で、式には出席せず、ベティ・ディビスが代理人として受賞した。 その後「赤狩り」が激しく中でブラックリストに入れられたキム芸能界を引退、1963年の『猿の惑星』でようやくハリウッドに復帰。 脚本のM.ウィルソンもD.トランボらとともにハリウッドから抹殺。その間、メキシコでH.ビーバーマンの『地の塩』(これは傑作)、『戦場にかける橋』、『アラビアのロレンス』などの脚本を匿名で担当、クレジットにはウィルソンの名前は出なかった。 日本での「赤狩り」は1950年代初期で収束し、大学には及ばなかったが、米国では1960年代まで「赤狩り」は持続し、日本の戦後改革に関わった多くのニューディール左派の研究者が大学を追われることとなった。非米活動委員会は正式に活動終了したのは1975年。 日本の1968年が大学内部でのみ、「過激化」できた背景の一つは、「リベラル左派」が大学教授の主流派(特に東大・京大)であったことに拠る。