全くアカデミア関係ない飲みで「ジェンダーの人」って表現が出てきて嫌だった。 いつまで経ってもLGBTQについて覚えられなくて、しかし何故か差別的な歪んだイメージだけはすっと把握してしまう人というのはいる。 そういう人には強烈な認知フィルター(あるいは情報圧縮のためのバイアス)があり、たとえば「ジェンダーの人」のような表現は、膨大なSOGIに関する情報のうち、その人のフィルターを通るとき濾過されて削ぎ落ちずに住むわずかな部分なのだ。そして厄介なことに差別的情報はその手のフィルターをちゃんとすり抜けて落とされずに届く。
人は自分に関係ないと思ってる情報は遮断する。それは他の場合でもよく起きる。典型的なのは数学嫌いな人の数学に対する態度だろう。無論、理解力の差というのもあるだろうが、記号の体系を自分ごとと思えないという感情が認知活動を阻むというのはないだろうか。 数学嫌いな人は「サインコサイン」という音の連なりは覚えてネタにするが、それが何を意味していて何に使われるものかは覚えていない。「ジェンダーの人」という表現は似た類のものに映る。 しかし「サインコサイン」で雑に扱われているのは三角測量だが、「ジェンダーの人」で雑な扱いを受けているのは生身の人間である。そう感じるから不快さが強い。