すると翌日、岸田首相は国葬をおこなうことを発表した。経緯は次になる。安倍氏が死去した数日後、首相は安倍氏の国葬を検討するよう、周辺に指示した。ただ、国葬を定めた法律はない。全額国費でまかなうことに、政府内には「行政訴訟のリスクがある」との慎重論もあった(朝日新聞デジタル2022年7月22日)。
《そこへ、内閣法制局からの報告が届く。》(同前)
内閣府設置法を理由に、政府単独による国の儀式としてなら閣議決定だけで国葬も可能という内容だった。岸田首相は国会での議論を飛ばせることになり、「国葬儀」と言い始めた。ここは押さえておきたい流れだ。そして同時進行で話題が大きくなったのが旧統一教会問題だった。安倍氏との関わりが濃かったことが明らかになるにつれ、国葬論議も過熱していく…
岸田政権は政策の軌道修正が目立ち、朝令暮改、場当たり的といった批判がつきまとうが、ミスや弱点が見つかったらすぐに改めようとする姿勢を評価する声の方が多いと。上記の記事では具体例として「18歳以下への10万円相当の給付」について書かれている。
そんな岸田首相が独断で大きな決断をした。それが「国葬」だった。しかしどの世論調査でも徐々に反対の声が大きくなったが、岸田首相は得意の軌道修正はしなかった。閣議決定もしたので引っ込みがつかなくなったのだろう。押し切るしかなかった。
ところがどうだろう、押し切ったら「いけてしまった」のである。これは分岐点ではなかったか。その後の政策、たとえばマイナ問題などを見ても軌道修正せずに押し切ろうとする姿勢が目立ち始めた。国葬で味をしめたと言えないか…
菅前首相は安倍氏の遺影に向かい「あなたの判断はいつも正しかった」と述べた。大きなポイントだった。あの言葉が自民党葬なら違和感はなかったろうが、国葬だと不自然に思えたからだ。
故中曽根康弘氏は「政治家の人生は、その成し得た結果を歴史という法廷で裁かれることでのみ、評価される」と言った。政治家の評価は長い時間が必要なのだ。身内の評価だけで盛り上がるなら内閣・自民党の合同葬がよかったのではないか。もしくは佐藤栄作モデルの「国民葬」だ。内閣と自民党、国民有志が共同で実施、費用はそれぞれが支出したものである。
これなら税金投入は少なくなるし、国民有志からかなり費用が集まったのではないか? 合同葬か国民葬ならあれほどの賛否は起きず、粛々と安倍氏をおくる儀式ができたのではないか。岸田首相のひたすら曖昧な態度が歴史に刻まれたのが国葬だった…