限界サバイバル生活つらすぎる。キャンセルカルチャーとかデジタルレーニズムがウンタラカンタラして末法の世カリ・ユガ、陰謀論で言うとなんだ?ネサラゲサラか?クソ食らえ!そいつが到来する前に、某将軍未満の革命的加害性にチンプンカンプンしまくって俺の生命の危機が訪れる。訪れてる。身心が虚脱して、具体的には手脚が痺れはじめて、浜名湖SAからまったく動けずにいる。体温がまったく上がらない反面、自己保存機能が高まっているのか、まったく助平な事しか考えられなくなった体たらく。でも、何かが違う。ふと思い出す。かつて、所属する組織を壊滅させられ、ぼろぼろになって高円寺で飲んだくれていた時、転がりこんだ女。死にそうになっときはいつも部屋を暖かくしてくれた。滋養のつく食い物を用意してくれた。彼女の慈悲。今時期くらいには彼女の実家から干し柿や洋梨が送られてきて、俺はそれをこの季節の楽しみにしていた。結婚に踏みきれなかったのは俺の決断力の弱さだったのだろうか。今夏、諸々の事情で粉骨砕身してる間に、俺は見限られた。3年間同棲した時間が走馬灯のように流れてきて、思わずげろを吐きそうになる。そして再びやり場のない怒りに苛まれ、しかし皮肉にもこのダウナーな気持ちの流れが再び身体に火を灯す。邪悪なものから大切なものを守らねば、自身の弱さに勝たなければ、この難局を乗り越えれば、やがて個人の陳腐な恋愛よりも、強烈な快楽が、死と隣り合わせの純粋な生が、俺には待っているものなのだと妄信することでしか、自分を救済することもできない。非業の死にもならん犬死を選ぶほど俺は弱者だと断定したくない。勝ちたい。何に? 勝つってなんだ? 欲しい。 欲しいってなんだ? 俺はただ収奪する連中から自分を守りたいだけだ。さらにいえば自分を苦しめる執着からも自由になりたい。虹のように美しく光りながら分裂したい。