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 「大学旧教養部改組が、WWII戦後民主主義の主翼を担った外国語学・文学系潰しの国家的陰謀であった、という稗史的俗説はいかがかな。」と言っている東大の先生がいる。

 これは、私も、少しだけ調べてあとは放り出しており、確たることは言えない。

 ただ、例の中沢駒場騒動事件が1987-88であり、教養部廃止が1991年である。

 中沢側に立った、西部邁、公文俊平、佐藤誠三郎、村上泰亮は日文研系列となり、また国鉄解体を主導した中曽根康弘と密接な関係があった。また村上の父親は戦前の文部官僚の大学関係担当官である。

 実際、大学教養部解体は、確たる「大義名分」のないまま行われた(勿論国立大学法人化も「公務員減らし」の数合わせのためだったが)。

 結局「リベラルアーツ」としての「教養」の必要性は変わらないので、「普遍教育」という不正確な名前で今に至っている(ちなみに「教養」とは「普遍性」とは何か?を問う場でもある)。

 中沢事件の際、芳賀、平川、小堀の「ど右翼」三人組と蓮実が中沢支持に回ったことは先に述べた。「ど右翼」達はサントリー・日文研へと合流。

 蓮実は後に東大総長となったが、やったことと言えば東大教員の定年を5年延ばすことだけだった。

 さて、先の仮説の東大教授、自分の立ち位置は?