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 先日、ペケのスペースで話していた事。

日本の今の現状は小さい頃から刷り込まれる道徳教育の結果だと思う。
目上を敬え先生を敬えと家長制度や組織といった団体の中での生きる術(というより立ち位置)は教え込まれるけれど、個人としていかに生きるかという個々の権利に基づく理念は学ばない。
尊重するということは他者との関わりの中でとても大切な要素であるけど、個々の関係において普遍に平等なものがあるということを理解せずにいると、組織においての上下関係は服従と支配という構図になりやすい。
日本の場合は、丁寧語・尊敬語・謙譲語という相手との立ち位置の上下を確認してからでないと使えない言語がある。これを「正しく」駆使できることが社会に出た成人に求められるスキルとなり位置の上下は確固たるものとなる。言葉を全部否定するつもりはなく、丁寧語は相手を尊重する意味で対等な場でも自由に使えて良いと思うけど、個人的には尊敬語や謙譲語を社会生活の場に求め続ける慣習は廃れてしまえば良いのにと思う。発する言葉と意識はリンクしているので支配・服従の言葉を日々使いながら意識だけ対等でいろというのはなかなか難しい。

道徳の授業を「採点する」という報道も何年か前に見かけたけど、本当に授業で点数をつけられているのだろうか。良い点数とは何を基準にしてるんだろう。誰が決めているんだろう。
そういう疑問を常に持たないと、何か違和感があると感じた時には既に口を開いて声を上げることすら自ら憚る人間になっている。

日本の道徳教育は人権教育とは真逆の方を向いていると強く感じる。