デリダのレヴィ=ストロース批判を脱植民地化へのジャックの態度と直結させるのはまずは難しい。
アルジェ出身のセファラードであるデリダにとって、1830年以降フランス側としては「植民地」ではなく、「フランス」であったアルジェリアの独立は他人事ではななかった(モロッコ、チュニジアは保護国。マンデス=フランスの時に独立)。
後年、サルトルとカミュの双方の立場には「極めて複雑な問題が絡み合っており、単純に割り切れない」が、しかし、「結局は私はサルトルの立場を採る」と述べている。
同じくアルジェ出身のアルチュセールはPCFの立場=フランスのアルジェリアを前提。
例によって世渡りがうまいフーコーはその頃スウェーデンやポーランドに「亡命」。そこではカミュをぼろかすに貶していた。
戦争の際デリダはブルデューとともに徴兵され、その地域では他に話相手がいないので、二人はノルマリアン用の事務作業をしながら、いつも一緒に食事をしていた。
一方デリダは『テルケル』のマオイスムは一切受け付けず、決裂の主因となる。デリダはマオ派よりはPCFが「まし」と言い切っている。
第三世界一般に関してはネルソン・マンデラへの関心や米国憲法の脱構築などで、まずは欧米帝国主義を批判する立ち位置は揺らがないところだろう。