例えば「いじられキャラ」の人だって、いつでも笑いや悪口の対象になることを受け入れられるわけではない。嫌になることもあるだろう。しかし、嫌がる姿を見せてはならない。これはほとんど義務に近いニュアンスだ。 日本社会にキャラ文化が浸透していることには理由がある。端的に、個人の固有性を全て受け止めるよりもキャラとして取り扱った方が制御しやすいからだ。 キャラには他者が特定しやすい要素が求められる。それは本人の「真実」ではなくとも構わない。省略された人格によって社会的役割を果たすのが目的であり、本人の自己感情を表出することが目的ではない。 キャラ文化においては、主となる性格と違う姿を見せてしまうと、「らしくない」とネガティブに捉えられかねない。それは息苦しいことだ…