ルイ14世が、パリではなくヴェルサイユを拠点としたのは、主としてパリが反王権的であったため。
パリ民衆が反王権的なのは、14世紀のジャックリーの乱以来、16世紀の宗教戦争の時代にまで続いている。つまり16世紀にはパリはカトリックの首都として、ポリティーク的王権(アンリ3世)、プロテスタントのアンリ・ド・ナヴァル(改宗してアンリ4世)に抵抗。この際、やはり高等法院も反王権のスタンス。
所謂「バリケードの日」とは、1588年にパリの民衆が放棄して、アンリ3世が逃亡した事件。
18世紀中にパリを中心としてフロンドの乱に参加した地域はほぼ「脱宗教化」する。このパリ盆地を中心とした人口最大部分が革命を支持したため、一時全欧州から介入され、内戦に陥ったフランスは、ジャコバン支配の下、ほぼ統一を回復した。
ところで、ロベスピエールは元来死刑廃止論、反戦主義者である。オーストリア・プロシアとの戦争を望んだのは所謂ジロンド派。
また、フランス革命時は政党制ではなく、再選禁止の議員のグループに過ぎないので、ジャコバン派への安定した権力集中はできなかった。
ところで、日本のフランス革命研究、柴田三千雄『バブーフの陰謀』、遅塚『ロベスピエールとドリビエ』、二宮宏之の「社団国家論」と世界水準の時期もあった。