だが、ここでは、「キャラ」の危険性に触れたい。危険性とは、精神科医の斎藤環も指摘している、日常的な人間関係まで浸透した人間の「キャラ化」である。 斎藤は、日本の学校の教室ではキャラ化した若者がキャラの生態系をつくっていると述べる。陽キャ、陰キャ、いじられキャラ、真面目キャラ……。生徒たちは自身が持つ性格の一側面を拡張してキャラとして身につけ、そのキャラを表出することで、生態系の中で単独の役割を果たす。 この生態系の中でキャラは人格の一側面である以上に、集団に欠かせない専門的な役割を担っている。だから、集団において「他人とキャラが被らない」ことは鉄則だ。 斎藤によると、人間関係におけるキャラは「再帰性」を伴う。認識(結果)が自身のあり方(原因)に影響を与えるということだ。わかりやすくいうと、「●●キャラ」扱いされ始めた人が、それに引っ張られて自身の振る舞いを変えるといった話である。 「キャラ化」する人々(特に学生など若年層)に対する懸念は、実際の人間関係において単独の役割を押しつけることが不健全だという点である…