邪悪なものは単純明快で、ざっくり言うと自らの利益のために他者を害する事や物そのものだという。 正義というのは厄介で、全体や自分の身の回りの利益に動いたとて、その対価・反動として、誰かを害してしまう。邪悪を孕んでしまう。絶対の正義はあり得ない。 ゆえに大義を為すには自分自身の邪悪さに折り合いをつけて業を背負っていく必要が生じる。 神仏を信じて頼らず林の中の象のように暮らすことの難しさをここ数日で痛感させられる。