BT) 下で紹介されているのは、 シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』こと。 『第二の性』、1949年上梓の際には、まだフランス社会は、この衝撃的なフェミニズム理論に「追いついておらず」、その社会的影響が現れるのは、68年五月革命以降。 サルトルとボーヴォワールが主宰する『レ・タン・モデルヌ』はフランスにおけるフェミズムの重要な拠点であり続けた。 WWII後の仏のフェミズムと『レ・タン・モデルヌ』関係、博士論文の対象になる重要なテーマだが、まだ誰も取り上げていない。 ちなみにフーコーは公的に「反フェミズニム」的な旗を掲げたことはないと思うが、ボーヴォワールのことは終始一貫して毛嫌いしていた。これは、おそらく彼の「ミソジニー」によるものだろう。