「仏帝国の脱植民地化とサルトル、カミュ、アルチュセール、デリダ」
WWIIにおいて、仏はド・ゴールの外交的アクロバットによって、形式的戦勝国となる。
となると、敗戦で海外植民地をすべて失った日本と違い、「脱植民地」の過程はWWII、1962年まで続く。
ベトナムに関しては4者の間に意見の相違はなかった筈。
ただ、アルジェリアは1830年から「フランス」であったとともに、カミュ、アルチュセール、デリダはそこで生まれ育った。
カミュはスペイン系、アルチュセールはアルザスから移住した銀行員の息子。
PCFとの関係では、カミュ、フーコーは一時在籍、アルチュセールは終生党員である。サルトルはアナーキストなので、PCFとは生涯無縁。
アルジェリア問題では「自治派」のカミュと「独立」派のサルトルが激突する構図となった。デリダはこの時まだ20代で、両者の間を揺れていた筈だが、80年代には「サルトルを選んだ」と明言。
ところが90年代には仏の知的舞台ではすでに「ネオリベラル」の覇権が確立し、『カミュの勝利』という「眠たい」特集も組まれていた。
仏で植民地主義に対する
筋道だった批判が出てくるのは、ここ10年くらい。
21世紀頭には『ロベール』(辞書)にもF.ファノンの名がなかった。