「アジェンデはエピキュリアンとして生き、ストア派として死を選んだ」で始まる「ルモンド・ディプロマティーク」の記事の著者、ゲバラとともにボリビアで逮捕された、あのR.ドブレである。
まだ生きていたのかー
1940年生れだから83歳ですね。
支配階級出身のドブレもENSでアルチュセールにオルグされ、極左マルクス主義へ。
1967年ボリビアでゲバラとともに逮捕された際は生命も危うかったが、ド・ゴールと親しかった母親の介入で一命をとりとめ、禁固30年。
しかし、こうなればサルトル、ド・ゴール、はてはローマ教皇まで介入して、1970年には釈放、チリに向かう。ノーベル賞作家P.ネルーダとも親交を結んだ。
1972年のアジェンデ打倒の軍事クーデターにも立ち会い、軍事政権成立後、フランスに帰国。1981年からのミッテラン社会党政権では外交顧問。
1940年生のノルマリアン、というとバリバール、ランシエール、マシュレーといった面々とほぼ同期生。Aバディウも、ENSで同期だが、サルトルの影響下に哲学を構築。ただ、サルトルを「超える」までには至らなかった。
マシュレーとバリバールとはパリ滞在中に会って話したことがある。その頃にはマシュレーはすっかり「ノンポリ」。バリバールはいい人だった。