ベトナム戦争中、米国が隣国のラオス・カンボジアにも戦火を広げ、中立路線のシハヌーク国王をクーデターで打倒、ロン・ノル軍事政権を樹立。
ところが、米国が撤退を決めたため、ロンノル政権はあっさりと倒れ、文革路線の中国のクメール・ルージュ(ポルポト)がプノンペンに入ります。
クメール・ルージュ(ポルポト)は直ちに対ベトナム戦を開始。しかし、あっさりと自壊して、「killing field」がその姿を現した。
しかし、その後ポルポトを支援したのは、米・中・日本、それに基地を提供したタイです。中国に至っては直接1975年に中越戦争を引き起こします。このあたりで漠然とした「現存する社会主義」への幻滅が世界的に共有されたと言えるでしょう。
逆に73年チリ、73-78年エジプト、73年中国という流れで米国はソ連を包囲。79年には「アフガンをソ連のベトナムにする」というキッシンジャーの目論みは、ものの見事に実現。中国、パキスタン、エジプト、それにサウジのムジャヒディーンたちが結集。
「文革中国」はこの流れの中で一貫して反ソを選択した。
日本の「文革」礼賛派は、はたしてこの中国の対外政策をどう考えるでしょうか?
鄧小平の「改革開放」は中国の海外への政治介入をやめる、ことでもあった。